カメさん日報です。
カクヤスの佐藤順一社長のお話をお聞きしました。
神戸大学大学院の金井壽宏教授が提唱するキャリア理論のひとつで、「キャリアドリフト」という言葉なあります。金井教授は、職業人生はキャリアデザインとキャリアドリフトの繰り返しであると考えられます。自分自身のキャリアの大きな方向付けをして、人生の節目節目で、偶然な出会いや予期せぬ出来事をチャンスとして柔軟に受け止めるために、あえて状況に流されるままでいることも必要という考え方です。ちなみに、ドリフト(drift)とは「漂流する」という意味を言います。
酒屋の三代目の佐藤順一社長の話を聞いていると、まさに、大きなビジネスモデルを決めながら、偶然な出会いや予期せぬ出来事をチャンスととらえ、23区どこでもお届けの「カクヤスモデル」を確立していったことがわかります。
企業と企業が戦っていく上で、やはり大きなところは強い。セブンイレブン1万7千店とどのように、勝負したらいいのだろうか?と考えると、まさに、企業戦略はやらないことを決める決断だと言われました。経営者の仕事は決断ですが、分かって決断しているのかと言えば、わかっていないと言います。世の中のサクセスストーリーは、ほとんど後付けで、例えば、ユニクロの柳井CEOの野菜の失敗。日高屋 神田会長のついているだけと言われたといった例を出されました。
佐藤社長の戦略とその後のドリフトについて、要点だけ整理したいと思います。
当初、佐藤社長は、酒屋を継ぐ意思はなかったと言います。酒屋の経営者の息子は、立教か慶応が多く、佐藤社長の中学~高校は、立教でしたが、親の影響を受けたくなかったために、家からは絶対通えない筑波大学に行ったそうです。しかし、最終的には、酒屋を継ぐことになります。そして、34歳の時に、社長をやるように祖父から言われて以来、20年以上に渡って社長をやられています。
佐藤社長がカクヤスに入ってから、しばらくは順調に売上を伸ばしました。バブルの絶頂期の売上高は約15億円、営業利益は約1億円円となりました。酒屋の業界は免許が厳しく、酒販組合に入ると、毎月、組合の同じ人に会います。そして、自分だけ特別なことをやって営業で伸ばすことができません。特に、場所の移転ができない他、制約ばかりです。そこで、佐藤社長は、新規の店舗なら、誰からも文句が言われないと考えて、六本木に張り付き、新しい店舗ができると次々と営業をして伸ばしていったのです。
当時、酒のディスカウンターといった業態がバブル期には伸びてしました。しかし、1997年 細川内閣が酒の規制緩和を実施、1996年をピークにお酒の市場は縮小し、この業態は潰れていったそうです。市場が伸びているときは、ビール会社は、装置産業で、固定費を取れれば後は儲けでしたので、強烈なシェア競争をしていました。しかし、縮小マーケットではそうはいかないので、ビール会社も戦略を変えていったのです。カクヤスが酒のディスカウンターの業態を始めたのは、まだ、酒のディスカウンターが伸びている時期でした。たまたま、2つの酒屋の免許を持っていたので、1つを酒のディスカウンターの業態を始めました。しかし、始めた当時は、まだ、郊外型の酒のディスカウンターが伸びていて、佐藤社長は、自分が客の立場でも、郊外の大型店に買いにいくよな~と思っていたそうです。
そのため、お届けでも始めるか?と宅配サービスを始めます。しかし、宅配で、ディスカウンターというのはコストが掛かり過ぎて成り立つ業態ではありません。そのため、配送料を300円と設定したのですが、評判が悪かったと言います。なぜなら他の酒屋さんは、配送料を取っていなかったからです。そのため、ビールワンケースを団地に300円で届けると、3人で割って100円ずつ負担するといった光景がありました。
カクヤスは、店舗から半径1.2キロに設定た理由を何故か?とよく聞かれるそうですが、これも、たまたま最初の店で、地図を半径1キロに区切ったら、大きな団地が外れてしまったために、200m伸ばしただけだそうです。そして、1キロでも1.5キロでも成り立たなかったと、佐藤社長は振り返られました。
当時は、カクヤスといった店名でなく、スーパーディスカウント ダイヤスという店名でしたが、1.2キロに競合がなく、300円の配送料が勿体ないと考える客が殺到したそうです。
その当時、来店客の客単価は1500円、宅配の方の客単価は16000円でしたので、宅配は人手が多くかかったとしても、計算すると、どちらも人件費7%で成り立ったそうです。そこで、最初、10000円以上を無料にしました。しかし、次に、5000円以上無料、さらに、3000円以上無料と下げていきました。
カクヤスは、2000年までは価格で戦っていました。2000年以降は、付加価値に転換していきました。お届けモデルは、エリア以上のところへは行かないのげ原則です。エリア以上でな成り立ちません。さらに、ロットにも制限があるのが常識です。
しかし、お客様の立場から考えたら、時間は短く、ロットの制限が無い方がいいに決まっています。そのため、佐藤社長は、東京といった人口が密集した地域で、どの位、店を出したら、カバーできるかを計算したそうです。どこでもは、137店舗出せば東京23区カバーできると決断して、網の目のように出店していきました。
物流インフラとなると、物凄いことになると、説明しても銀行はわかってくれません。また、社内も大反対でしたが、役員会で、まだ、金があるとハッタリを打つことで納得され多店舗展開に踏み切ります。しかし、実際は、物凄いことが起こるどころか、節目である100店舗を出した時も、65店舗が赤字だったのです。しかし、その後も出店を続けていき、羽田空港やゴミの島などを除けば、117店舗で東京全部が埋まりました。しかし、117店舗でカバーが出来上がった時でも、6億位の営業赤字でした。
いつまで会社は持ちこたえられるのかと本気で心配していたそうです。
では、どうしたきっかけで黒字転換できたのか?ある日、古い営業社員が、「一般家庭だけではなく、飲食店にも営業しましょう。寿司店、蕎麦店など、家庭よりもたくさんお酒を使ってくれる場所がいくらでもありますが、なぜ、営業しないのですか」といった話があったそうです。もともと業務用向けの営業をやっていたことを思うと確かにそうです。そして、一般家庭に加えて、飲食店を対象とした営業を始めることにしたのです。ただ、既存の酒販店から鞍替してほしいといったトークはいっさい使いませんでした。「前日に注文し忘れた、急な追加が必要となった、そんな時にご連絡ください。2時間でお届けしますし、空き瓶も回収しますから」。そんな感じの営業をしたそうです。当時、例えば、店主がお酒の発注を前日にやっているのですが、実際、飲んでまって、前の日に次の日の注文を忘れる店主が多かったのです。また、当日に注文しても2時間以内に届くとわかると、飲食店は前日に注文しなくなるんです。それまでかさばって場所を取っていた在庫も絞れますし、冷えたビールがすぐに届くのです。
飲食店にも営業することで、過去、10年以上かけて一所懸命積み上げてきた一般家庭の売り上げを3年で超えてしまったそうです。そしてボトムで単年8億円もあった赤字続きの決算が、黒字に転じたのが2006年です。その後、最初は、できるだけ短い時間で、2時間でにお届けを設定しましたが、ピザ屋が1時間で来るのにと言われて1時間への短縮を目指しました。
現在、カクヤスは、2000年以降に転換した非価格競争で勝負しています。
選ぶ選ばれるには、2つしかないと佐藤社長は言います。
1. 価格戦略 →早く答えが出る
2. 非価格(付加価値)→付加価値戦略は、時間が掛かる。お客様によって評価が異なる。
ビックカメラ、有楽町 一等地、店員もいる。安く売れる訳がない。本当は、ネットでマンション一室の方が安い。実際は、安いように勘違いしてお客様が購入している。
実際、多くの企業は、付加価値で戦うしかないと言います。しかし、付加価値は、ハッキリしないとお客様に伝わりません。
そのため、価格競争をしないとすれば、しっかりと付加価値の内容を伝えなければなりません。そのため、下記のような考え方を設定しています。


カクヤスホームページより引用
そして、宅配サービスは、足の悪い人は、喜んでくれます。しかし、コストが安いといったヤマト運輸に配送を任せてしまうようなことはしません。なぜなら、直接、カクヤスのスタッフが、出向いて接客することで、話し相手になり、喜ばれるといった付加価値があるからです。
こうして、現在にカクヤスモデルが成り立ったのですが、確かに、大きな方向を示しながら、後は、やりながら、修正していった様子が見て取れます。
カクヤスの佐藤社長のお話を聞いていて、冒頭に書いたように、企業のビジネスモデルも、キャリア同様、ドリフトしていくのが現実ではないか?しかし、大きな方向性を示し進むことが重要であることを再確認しました。
ちなみに、昨年、坂本先生と仲間で出した「さらば、価格競争」には、21の企業の事例を掲載しました。

